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「山形の元気な老舗企業見学ツアー」実施報告書・株式会社 ふじや冨宏商事 冨田 浩志社長 インタビュー・株式会社 丸十大屋 佐藤 知彰社長 インタビュー

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1.概要

山形は、社長輩出率・老舗企業数が多いと言われています。その山形にある老舗企業を訪問して「長生き企業の秘訣」を探るため、大学生と先生・NPOが組んで山形の老舗企業を取材しました。長い間、地域に住む人々から支持されている老舗企業。強さや長生きの秘訣を取材させていただき、皆さんに広めて、地域の魅力の再発見が出来るものと考え企画、実施しました。


企画名 「山形の元気な老舗企業見学ツアー」
実施日時 平成24年2月20日(月)
 13:00~15:00
 19:00~22:00
平成24年2月21日(火)
 10:00~12:00
訪問場所
  • 株式会社 丸十大屋
  • 蔵王・岩清水料理の宿 季の里
  • 株式会社 ふじや冨宏商事
取材メンバー
  • 山形大学工学部 機械システム工学科 稲垣 和崇さん
  • 東北芸術工科大学 企画構想学科 山崎 愛深さん
  • 東北文教大学短期大学部 総合文化学科 菅原 裕貴さん 矢部 理沙子さん
  • 日本経済大学 教授 後藤 俊夫さん
  • 特定非営利活動法人 生涯学習 知の市庭 代表 東島 信明さん
  • 特定非営利活動法人 山形の公益活動を応援する会・アミル
  • スタッフ 山口 達也

2.全体の流れ

工場・販売店舗の見学

実際に工場見学・販売店舗の見学をメンバー全員で行いました。企業の社長より工場・店舗内部の案内をしていただきました。文章や写真だけで感じ取ることは出来ないものづくりの現場を間近で見ることによって「手作業でどのようにして品物を作っているのか」「具体的に商品はどのような流れで作られているのだろうか」等の点で深い理解を得ることが出来ました。また、「どのような客層に合わせた商品開発の取り組みが行われているのか」や「今後の展開」「家族で経営する秘訣」についてお話をお聞きすることが出来ました。

長生き企業の秘訣をインタビュー

※蔵王温泉 季の里さん、ふじや冨宏商事さんはインタビューのみ。

ご参加いただいた山形に住む学生と先生、NPOの方と、それぞれの社長にインタビューをさせていただきました。学生目線の質問を考えていただき、インタビューしました。

はじめに、社長から企業概要、企業の歴史などのお話をお聞きしました。最近発売した新商品の紹介などのお話もしていただきました。次に、参加者それぞれ事前に用意した質問メモをもとに質問させて頂きました。

3.実施カリキュラム-1

老舗企業へのインタビュー

企業の見学と、御担当頂いた方に「老舗企業のコツ」などを取材しました。内容・流れは下記の通りです。

月日 平成24年2月20日(月)
時間 13時00分~14時30分
場所 株式会社 丸十大屋
開催内容 1.丸十大屋「企業の社長に長生き企業のコツをお聞きしよう」
御担当頂いた方
・株式会社 丸十大屋 代表取締役社長 佐藤 知彰氏

2.丸十大屋「実際にお醤油を製造している工場を見学しよう」
御担当頂いた方
・株式会社 丸十大屋 代表取締役社長 佐藤 知彰氏

インタビュアー
・山形大学工学部 機械システム工学科 稲垣 和崇さん
・東北芸術工科大学 企画構想学科 山崎 愛深さん
・東北文教大学短期大学部 総合文化学科 菅原 裕貴さん
矢部 理沙子さん
・日本経済大学 教授 後藤 俊夫さん
・特定非営利活動法人 生涯学習 知の市庭 代表 東島 信明さん
・特定非営利活動法人 山形の公益活動を応援する会・アミル
スタッフ 山口 達也

今回訪問させていただいた企業のご紹介
(企業プロフィールは各社ホームページより)

株式会社 丸十大屋
会社名 株式会社 丸十大屋(まるじゅうおおや)
所在地 〒990-0031 山形市十日町三丁目10番1号
電話 023-632-1122 (代)
FAX 023-623-5815
代表者 佐藤 知彰(さとう ともあき)
創業 天保15年(1844年)4月7日 紅花商として創業
設立 昭和28年(1953年)4月7日 株式会社に改組
社員数 43名
目的 しょうゆ、みその製造 調味食品の製造 漬物の製造 一般食品の販売前各号に付帯する一切の業務

老舗企業が立ち並ぶ、山形市の十日町にある「丸十大屋」。ここでは、鰹節のだしなどを使っただししょうゆやみそを主力商品として製造しています。

山形といえば、名物の芋煮があります。村山地方ではしょうゆだしに牛肉とさといも、ネギなどを使った芋煮が一般的です。 山形では丸十大屋のだししょうゆを使って芋煮を作る家庭も多くあります。

また毎年9月に開催される恒例の「日本一の芋煮会フェスティバル」で丸十醤油が使用されていて、庶民の味として大変親しまれています。商品がお客の手元に届くまで、大変厳しい検査を行ったり、厳選した素材を使うことで永く親しまれるおいしい商品を届けています。山形市内でも屈指の歴史がある蔵を使って醸造し、みそにモーツァルトを聴かせるなどおいしい商品づくりに努めています。

写真1
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4.実施カリキュラム-2

老舗企業へのインタビュー

企業の見学と、御担当頂いた方に「老舗企業のコツ」などを取材しました。内容・流れは下記の通りです。

月日 平成24年2月20日(月)
時間 19時00分~22時00分
場所 蔵王温泉 季の里
開催内容
1.蔵王・岩清水料理の宿 季の里
「企業の社長に長生き企業のコツをお聞きしよう」
御担当頂いた方
・蔵王温泉 季の里 代表取締役社長 岡崎 宏一氏
インタビュアー
・日本経済大学 教授 後藤 俊夫さん
・特定非営利活動法人 生涯学習 知の市庭 代表 東島 信明さん
・特定非営利活動法人 山形の公益活動を応援する会・アミル
スタッフ 山口 達也

今回訪問させていただいた企業のご紹介
(企業プロフィールは各社ホームページより)

蔵王温泉・旅館 季の里(本館:山形屋旅館)
別館
屋号 岩清水料理の宿 季の里
代表者 岡崎 宏一
所在地 〒990-2301 山形県山形市蔵王温泉1271-1
電話番号 023-694-2288 (FAX:023-694-2287)
本館
屋号 昔ながらの宿 山形屋旅館
所在地 〒990-2301 山形県 山形市 蔵王温泉6
電話番号 023-694-9133 (FAX:023-694-9132)

蔵王スキー場の少し奥に「旅館 季の里」があります。取材の時も、とても細やかな気配りをしていただいて、ほっとする宿でした。団体客も入っているようで、人気の宿という印象でした。にごり湯の温泉もあり、さまざまな病気の治癒、湯治が目的で来館される方も多いとのことでした。料理も蔵王牛や地物野菜など厳選したものを使った料理を使用していて、少しでもおいしいものをと努力していることがうかがえました。客室の窓からはゲレンデや山々が見え、静かで落ち着く雰囲気が、人気がある理由だと感じました。

写真2
写真2
写真3
写真3

5.実施カリキュラム-3

老舗企業へのインタビュー

企業の見学と、御担当頂いた方に「老舗企業のコツ」などを取材しました。内容・流れは下記の通りです。

月日 平成24年2月21日(火)
時間 10時00分~12時00分
場所 株式会社 ふじや冨宏商事
開催内容
1.株式会社 ふじや冨宏商事
「企業の社長に長生き企業のコツをお聞きしよう」
御担当頂いた方
・株式会社ふじや冨宏商事 代表取締役社長 冨田 浩志氏
インタビュアー
・日本経済大学 教授 後藤 俊夫さん
・特定非営利活動法人 生涯学習 知の市庭 代表 東島 信明さん
・特定非営利活動法人 山形の公益活動を応援する会・アミル
スタッフ 山口 達也

今回訪問させていただいた企業のご紹介
(企業プロフィールは各社ホームページより)

株式会社 ふじや冨宏商事
社名 とみひろグループ
本社所在地 山形県山形市香澄町1-11-18
代表者 代表取締役社長 冨田 浩志
事業内容 呉服等の販売
電話 023-635-1212
FAX 023-622-0506
E-mail rokuemon@tomihiro.co.jp
創業 天正六年(1578年)
創立 昭和26年
資本金 6,900万円
従業員数 150名
事業所 山形市・寒河江市・東根市・新庄市・長井市・宮城・埼玉・京都・東京
等15事業所
グループ会社 (株)ふじや冨宏商事 (株)とみひろ (株)埼玉とみひろ

山形市で着物を作り販売している会社です。商品作りに強いこだわりがあり、生地の原料は地元産のものを使用したり今では珍しい草木染めをした自然のものにこだわった着物を作られています。山形県内では3番目に歴史の古い老舗です。着物を織る「人」も大事にしていて、減少している後継者を育てることにも力を注いでいます。また、山形だけではなく、よりマーケットの大きな東京に出店したり、フォトスタジオや結婚式など、着物を着るシーンに合わせた多角経営にも力を注いでいます。現在は、世界にも目を向けていて、山形発の着物はもちろん、山形の文化も一緒に外国で発信していきたいとお話していました。

写真4
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株式会社 丸十大屋 佐藤 知彰社長 インタビュー~前編~

写真5
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創業時当社は、紅花商をしていました。紅花と金の価格は同じだったと言われています。紅を仕入れて、京都・大阪で売るという商売をしておりました。売ったところでいろいろな品物を仕入れて、山形で持ってきた品物を売るという、ノコギリ商法とも言われておりました。また、当時船を持っており回船問屋としても機能していました。

山形市内の112号線の中山町との境にある貴船橋という橋から、大石田まで小さな船で、大石田から少し大きな船で酒田まで商品を持って行き、さらに積み替えて敦賀まで沿海を航行し、そこから陸路で京都・大阪を目指しました。また、船にバラストを積んでおり、バラストの代わりに船を安定させるため、帰り荷に石灯籠を持って来たりしておりました。また、海上安全として石灯籠を住吉大社や北野天満宮などに寄進していました。他には、庭石を持って来たりしたようです。石屋さんは、石の産地を見ただけで分かると話しています。

写真6
写真6

当時は「講」というものを組織していました。これは、皆でお金を出しあって、今で言う保険会社を経営していました。それだけ海上輸送はリスキー(船が遭難したときの損害は大きい)だったため、永寿講という講を開設しておりました。しかし、講はありましたが船がどこかで遭難したというのは聞いておりません。永寿講としても、神社等に灯籠を寄進していました。寄進した灯籠は15本くらいです。
先にも述べましたが、当時は紅と金は同じ価格だったので、かなり儲かったようです。商人は儲かってはいましたが、山形藩は別でした。最上義光から始まり、その当時の水野家はとにかく金がなかったのです。
ヤマジュウという当社の本家は、最上家の御用商人でした。金がない藩だったから「お金を貸して」という話になります。「商人が金を持つとろくなことがない」という考えを持っていたので、藩が商人から金を巻き上げたりしました。貸した金は返って来やしませんでした。謝礼は、金の杯一つ、これだけでした。商人はみんなそういう目に合っていました。

写真7
写真7

商人の中でも大きなところは今「山形銀行」になっています。山形銀行の長谷川家も、紅花商だったのです。なぜか我社はお金が残らなくて豆しか買えなかったので、みそ醤油屋になったのかもしれません。そのとき米が買えていれば、酒屋になっていたかもしれません。

今考えてみても、何が良かったのかは分からない。だけれども、未だに続けていられるということは、良しと思っています。洋紅が入って来て、明治になると紅は廃れてきました。染料でそう高いものは必要なくなったのです。船を持って、リスクを背負って商売をしていくことがなくなりました。明治以降はよその国から様々なものが入ってきて、日本の伝統産業は廃れて行ってしまいましたが、その後、豆を買って今現在の当社の商いの起点になりました。十日町、本町、七日町は商家が多く、土着の他、近江から来た方もいます。今も近江屋さんは食品原料卸をされています。店名も、そのまま「近江屋」です。なので、山形には結構近江商人がいます。

おみ漬けも、「近江漬け」から来ています。ヤマジュウ(十日町)の横に堰があり、その堰に青菜の葉っぱが流れて来て、もったいないと思った近江商人が、葉っぱや人参大根とかを刻んでおみ漬けになりました。おみ漬けを食べたり作ったりしているということは、近江商人は非常に質素でした。それだけ商売に向いていたのでしょう。そういう方が、山形の紅花に目をつけてきました。
山形は京文化がかなり入っています。近江商人がもたらしたものもあるし、土着の商人など、当社の初代も京都に住んでいましたので。向こうからの帰りの船に品物をつけて帰ってきておりました。庄内酒田の言葉は、のんびりした雰囲気で、京都の言葉と似ています。河北町は紅花の産地だったこともあり、京都のお雛様の展示をしています。西村山郡、寒河江あたりから紅を持ってきて、京都に持っていっていました。山形の紅だけでは足りなくなったので、宮城の大河原町や、柴田郡などから紅を持って来た。当時はそれだけ人気があったのでしょう。しかし、紅は庶民が買えるものでなく、今で言う宮家をはじめとする階級の人たちが消費していたのでしょう。

写真8
写真8

当社が醸造に転じたのは明治中期。紅花が急激な右肩下がりを起こしたので、醸造に転じるまでいろいろな業態転換をしていきました。例えば製糸工場に出資してみたり、大沼百貨店のカドに土地を持っていて、不動産の商売などもしましたがことごとく失敗したようです。当時の苦い経験から、今でも「余計なことには手を出すな」という気持ちを持っていて、余計なことには一切手を出さないということでやっています。「余計なことをしない」ということが、今でも170年以上この地に残っている理由だと思います。
たくさん昔から商売をしてるところはありますが、どんどんなくなっていって別の商売に紅花から業態転換しました。例えば、造り酒屋になった家でも、戦後の統廃合で酒販店になって造り酒屋ができなくなってしまった。そのような、いろんな例があります。

昔の土地を売ってマンションになったりして、昔ながらの門構えでやっているところはほとんどなくなっています。我社の表の通りには、創業当時の蔵があります。目の前の門が狭かったものですから、道路拡張の時に門のところを広くしたようです。柵のようなものがありますが、その当時はなかったとのことです。
ここの蔵の場合は、山形大火にも遭わずに今も残っています。屋根などは吹き替えました。今は物置、仏間になっています。当時からの蔵を敷地内に4つ残しているのは山形にないと思います。1つは、蔵座敷として使っていて、生活空間なものですから、40年ぐらい前に篠山紀信さんが写真を撮っていったことがあります。みその熟成庫も、170年前の蔵を改造して使っています。味噌蔵も、もともとは2階建ての蔵として作られていました。醸造用にオケを入れられるように二階部分の床を取っ払って使っていました。強度が弱いので、近年補強いたしました。おかげで去年の震災では蔵の一部に亀裂が入った程度で済みました。

株式会社 丸十大屋 佐藤 知彰社長 インタビュー~後編~

写真10
写真10

地震によるこの辺の被害は全くありませんでした。なぜかというと、馬見ヶ崎川という川が北の方に流れてますけれども、大昔は別の場所に流れていました。暴れ川と言われていたほど氾濫を起こしていたそうです。そんな中で人間の力を使って治めて、今の場所に落ち着いたとのことです。この辺一体も全部川だったため、川石がゴロゴロと堆積して地盤がものすごく硬いのです。また、山形は扇状地でもあるし、この辺はどこを掘っても良い地下水が出て来ます。ですから、醸造には向いていました。鉄砲町の交差点あたりを境に、地下水が出る側と出ない側に別れます。旧県庁から馬見ヶ崎川~駅東あたりまで地下水が大変豊富で、済生館があるところは、もともと寿虎屋酒造でした。ちょっと下がると男山酒造があり、同じ水を使っています。出羽桜酒造山形工場も付近にあり、同じおいしい地下水の水脈を使っています。なので、水もあるし、豆も買ったからということでこういう商売をしたのではないかと思います。

Q. 分家されたところ(本家)の商売は?
A. パンを作っている、山十大屋という名前です。丸十、角十、一十などさまざまな分家があります。
業態転換したのは明治中期、大正元年にしょうゆを始めています。この業界は同業者が多く、同業者との競合が激しかったようです。昔は木の樽に10L入るとします。木が1L吸収するから9Lでいいだろうと、という足元を見られて割に合わない商売していました。なかなか商売としてはうまみがなかったのでしょう。今では店も減ってきていて、そういうことも無くなりました。依然として残っているのは、冬は雪が多いから、集金に来れないよね、と言って春に支払う、というところもあるようです。今となってはクルマでどこでもいけるのですが。

Q. 老舗を続けることで大切なこと
A. 大切なことは「信用」です。事故は起こさない、商品に異物が入っていたりしないなど。そういうところでないと続かいないと思います。「この間、あそこの店で異物が入った商品を買った」などということが起きた店はそこで終わりですから、雪印の一件以来、当社もかなり厳しくしてきました。そのためISO規格を取得したりしております。口に入るものを取り扱っているので、細心の注意を払っているのです。人間的な信用というのもあって、例えば約束事でも、きちんと日にちも決めてやる、といったように「口だけの約束は絶対しない。出来ない約束はするな」ということ。これは社員にも伝えています。「忘れていました」というのは絶対ダメだぞ、と話しています。

Q. 4つ蔵があるが、他に行ったほうがいいという蔵は?
A. 紅の蔵は、元きらやか銀行頭取の家です。オビハチさんは蔵をうまい具合に使って いて、らせん階段を付けたり、雰囲気がいいですね。

Q. 丸十のマークの由来は?
A. 聞いていないですね。山十など、本家が「十」と使っていることに由来しているのではないだろうか。大屋というのは、山十が西谷という人に場所を貸していました。西谷さんから場所貸しの「大家さん」と言われていたため、そこから「山十大屋」になり、そこの分家なので「丸十大屋」になったのではないでしょうか。
佐藤家の繁栄は同族の結束が固かったからだと思います。たいてい、血縁、兄弟同士で商売すると足の引っ張り合いになる。佐藤家ではそれがなかった。家の中では、兄弟などは同業はしないようにして来たようです。今も昔もそう。父のように、襲名するかもしれません。

Q. 今後の展開は?
A. みそ、醤油からは外れないつもりです。商品開発では、醤油を加工したつゆが主流で、だし抽出などで何かできないかなと考えています。レトルト殺菌など、しょうゆを使ったカレーは他でやっていただいていますが、自社でだしを使って何かできないかなと。今家庭で出汁なんか取らないですから。しょうゆ業界に凝り固まらずに、だし業界へと広げたりしてアイテムを増やして行かないと、同じ一升瓶でもすぐ空くことと、長持ちしてなかなか空かないことでは、後者では商売はうまくいかない。安いものを求める方もいれば、高くていいものを求める方もいて、そのようなニーズもあるのでそのような高級志向な方に合わせて商品開発して販売したりと、そのようなことも考えている。しょうゆ、みそを使ったマカロンを作ったりもしている。中身の開発もあるが、容器を変化させることもあります。

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株式会社ふじや冨宏商事 冨田浩志社長 インタビュー~前編~

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企業について・歴史

創業は、彦根で薬種商として創業しました。先祖が近江にいて、薬種商をしていた関係で紅花にも関わりがあったかもしれません。冨士屋は、初代の店名です。そこからふじやとみひろ商事に代わりました。創業時は漢方を売っていました。冨田六右衛門で天正6年創業。初代の六右衛門は、会津若松から来ました。現在は私の代で六右衛門から数えて23代目になります。自分も代替わりして、それからいろんなことを考えるようになりました。埼玉のとみひろから社長になって、20年です。

現在は六右衛門・山伏山・伝兵衛など、独自ブランドを持っています。京都は技術、製造の要であります。糸にしても、京都の丹後で契約しています。着物はオリジナルです。山形紬もあり、丹後の白生地で契約しています。製造と流通を行なっていて山形で作っています。帯も西陣で、オリジナルのものも作っております。丹後で織ってそれを京都で染める、という品物もあります。数は少ないですが、独自のルートでやってきました。時代の変化に合わせて、試行錯誤しながら品物を作って来ました。そのような点が、お客様から支持を頂いているところだと思います。

写真13
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南青山にもショップを構えています。例えば、埼玉に平成元年に社屋を建てましたが、その前から、目白と麻布十番に最初に店を構えました。その時は山形紬だけを販売していました。大宮に埼京線が出来て、街や環境が一変して危機感がだんだんと膨らんで、事務所形式から店頭販売へ切り替えて行きました。そこで駅前にビルを建てて店舗を構えました。お店は順調に行って、軌道に乗せるために一度閉店した目白店を南青山に再び開店することが出来ました。東京など大きい地域のマーケットは重要だと思ってます。
東京・青山の店は、近くに赤坂東宮御所や、表参道ヒルズやミッドタウン、六本木ヒルズなどもあり東京の中心地に位置しております。

地域の人々との関わりについて

東京・青山にあるお店のテナント関係者に「イベントやりましょう」と提案しました。様々な協力を得ることが出来て第一回目の「ゆかたパーティー」を開催することが出来ました。最初は100人ぐらい集まりました。輪が広がり、回数を重ねるごとに参加者が増えていき3回目は350人集まりました。近辺の方に宣伝をしたり、企業からビールをイベント用にいただいたり、また上山市観光協会にお話ししたら、協賛としてさくらんぼやきゅうり、トマトなどの作物もいただきました。将来は来場者1000人を目指しています。

写真14
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山形でも「キモノde山形」を開催しました。このイベントは1万3千人もの方々にご参加いただきました。今回は震災があったので、その中で石巻の夫婦に、結婚式のプレゼントをしようということになりました。500人近くいる前で神前結婚式を行いました。参加者や、新郎新婦の両親も来てくれて、涙、涙の挙式でした。

株式会社ふじや冨宏商事 冨田浩志社長 インタビュー~後編~

写真15
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他の活動としては、NPO「山形掃除に学ぶ会」の代表世話人や東北副ブロック長、そして本部世話人の職をしており、美しい心を育むために、トイレ掃除や山形駅前の掃除などをしています。活動を知るきっかけとなった「日本を美しくする会」の鍵山相談役を師としてあおいでおります。また、アサヒビール名誉顧問で日本国際青年文化協会の中條会長も、人生の師匠として尊敬している方です。

冨田社長の経営への思い

もともと「看板で喰っていけるか」という思いがありました。守りばかりではいけない。守りと攻め、攻守一体でやって行かなければいけない。呉服業も変わってきていて、既成概念にとらわれないことが重要だと思っています。「まず今やる、ダメだったら、やり直せばいい」そういう思いで経営しています。「何年、100年と、やっていくことがどれだけ苦労しなければ成らないことか」と感じています。

写真16
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今後の展開について

現在は、スタジオ写真館を仙台・大宮に展開予定です。結婚式場も手掛けています。京都にすごく雰囲気のいいお店があって、そこをモデルにした結婚式場「一の糸」を開館する予定です。昔ながらの京都の町家があり、3年間構想を練って作りました。オープンが、ちょうど去年の3月11日前後でした。そこに震災が起きてしまって、オープンが延期になってしまいました。1年以上経ちましたが、その間口コミで広がっています。着物が関連したその他の業種を広く経営しています。その次も考えていて、これが15年前からの夢で、ロンドンを中心に日本文化を広めたい。山形の文化を染織により広めていきたいと考えています。

写真17
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ハタを織って作る、化学繊維なしの100%の草木染めは少なくなっている中、当社の商品は、すべて地元のものを使用して作っています。100年前は製糸会社が全国で300以上ありましたが、現在は群馬と山形の2県だけです。こうした中で、全国の織り物産地としては、西陣、桐生、米沢の3大産地に集約されてきております。この状況下で当社はこの技術を継承し、全国へ発信したいと考えております。また、和裁技術は世界でも稀です。裄丈・身丈など究極のエコで、仕立直しすると着れます。洋服は曲線断ちだけど、和服は直線裁ちなので、着物はかなり長持ちする、再生可能な衣服です。海外での和裁工場は中国やベトナムで機械で作られ、パーツ縫いで作られます。一方、日本の和裁は全部一人で断つ、プロ和裁で作られます。このようなすばらしい和服を作る和裁士、後継の若い和裁士を育成しないといけないと強く感じています。後継者不足で、危機的状況にあります。そのような状況の中、我が社では国家検定1級和裁士を今後も育成してゆきます。

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