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Alt=第4回老舗訪問記 山形県鶴岡市「城下町の誇りが老舗を育む」

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< あとがき >


庄内藩の歴史と伝統を背景に

庄内藩の歴史と伝統を背景に
庄内藩の歴史と伝統を背景に

山形県鶴岡市。平成の大合併で周辺地域を取り込み東北一の広さを誇る。六つの行政地区からなるが、もともとは、15世紀に土豪より出た最上氏が基盤を築き、譜代大名酒井氏によって統治された城下町である。
庄内平野の豊かな農産物と日本海の幸、北前船のもたらす文物は庄内藩を豊かに潤し、出羽三山への信仰が培った伝統文化に武家文化が溶け込んだ。質実剛健と学問を尊ぶ風潮は庶民にも浸透し、藤沢周平はじめ、作家・文化人を生んでいる。また、酒井家は善政を敷き領民に愛されており、幕府より領地替えを命じられたときに、領民が幕府に白紙撤回を嘆願するという異例の事件が起こった。この事件をテーマにしたのが藤沢周平の『義民が駆ける』という作品だ。
酒井家は徳川幕府瓦解後も地元に留まり、松ヶ丘開墾地など武士の就業と物産の振興に勤め、18代となった今も市内に住み、市民の尊敬を集めている。
鶴岡は、住民と領主が強い絆で結ばれ、四百年の激動時代をともに乗り越えるという稀有な経験を刻んだ町なのだ。
市内には、旧藩校、有力町人・風間家住宅・別荘ほか、江戸・明治の建物がそのまま残り、NPOや大学、町の人たちの手によって保存され、観光資源として活用が始まっている。また藤沢周平の小説の舞台として、映画の撮影が行われたのをきっかけに、郊外に映画制作会社が屋外大セット地として所有する庄内映画村ができ、新しい観光資源として注目を集めている。

萎む商店街から全国へ発信

萎む商店街から全国へ発信1
萎む商店街から全国へ発信1
萎む商店街から全国へ発信2
萎む商店街から全国へ発信2

現在、鶴岡市を構成する六つの行政地区のうち、鶴岡地区の鶴岡城周辺が本来の城下町だ。鶴岡城下にある山王町は、旧名を荒町といい、鶴岡城の外壕・内川の水運で栄えた商業地である。山王町のメインストリートにかかる大泉橋のたもとの湊から松尾芭蕉は川舟に乗り、赤川・最上川をたどり酒田へ行ったという由緒を持つ。
大正7年に鉄道の駅ができると、水運から陸運に輸送手段は移行し、かつての賑わいは徐々に失われていく。戦後、人口の空洞化が進み、商店街は衰退の一途をたどり、大正モダンや昭和レトロの香り漂う店舗が居並ぶ中、締め切ったままの戸口も少なくない。
その山王町商店街に、遅くまで明かりの点る一角がある。NPO「公益のふるさと創り鶴岡」の活動拠点だ。
伝統祭事に新しい息吹を吹き込み、復活させる取り組み「小祭り」、商店街活性化の「ナイトバザール」、子供と大人の交流ツールとしての「だがしや楽校」を実施し、全国的に知られる団体だ。
ここでは、専任のスタッフ二名と地元の三つの大学の大学生などのボランティアスタッフが集まり、なんと毎週イベントをしかけているという。

山王商店街で吼える

山王商店街で吼える1
山王商店街で吼える1
山王商店街で吼える2
山王商店街で吼える2

理事として活動の中心を担う阿部等氏に話を聞いた。
「毎週のイベントアイディアは、スタッフと楽しく知恵を絞って、がんばっています。お金がない分、知恵を出さないと」
阿部氏は笑う。
メンバー数名とともに、毎週のイベント企画と実行、シャッター通りと化した山王商店街と空洞化の進む町の再生に取り組んでいる。その取り組みが認められ、平成21年には中小企業庁より『新・がんばる商店街77選』にも選ばれた。また、人を呼ぶ街作りの一つのフックとして、『まちなかキネマ』、続いて『産直市場 山王マルシェ』をオープンさせた。独自のプログラムを企画上映するちいさい映画館と、醤油店店舗の一部を間借りした、地元の生鮮食材と特産品の販売を行う地産地消の小さなマーケットである。
「マルシェは半年かけて周辺の方たちに認知されてきました。まだそれだけで外から人を呼び込む力にはなっていませんがこれからです。次は空きビルになっている建物をどうするか」

行政に頼らない、自立した商店街に

商店街の中ほどに二階建て320坪という廃ビルがあり、再開発の要となっている。この企画を託されたのだ。目下、山王マルシェと連動する形で、地元食材にこだわった有名イタリアン・レストランの招致を考えている。これまでにない大きい容れ物の企画になる。
「鶴岡にはインフラに資金をかけたけども中身を入れないままのものが、少なくないのです」
箱は作ったものの、ソフト開発には手もお金も回らないため、NPOにソフト開発と運営が託される。みなで知恵を絞っているけれど、同時に多くの再生事業を行政から予算をとって進めているのも確か。
「行政頼りでなく、自立した街になるというのが、目標ですね」
という等氏には、もう一つの顔がある。活動拠点の斜向かいに店舗を構える、それと知られた古書店「阿部久書店」の五代目当主なのだ。

NPO「公益のふるさと創り鶴岡」

URL: http://www8.plala.or.jp/koekitsuruoka/index.html


鶴岡まちなかキネマ

URL: http://www.machikine.co.jp/

<山王マルシェ>

住所: 山形県鶴岡市山王町8-17
電話: 0235-25-0613
営業時間: 9:00~18:00

阿部久書店にて

阿部久書店にて1
阿部久書店にて1
阿部久書店にて2
阿部久書店にて2
阿部久書店にて3
阿部久書店にて3

明治20年創業の阿部久書店は山形県でいちばん古い古書店である。
藤沢周平が資料を探した店としても知られ、今も庄内の歴史資料を探すなら阿部久書店という評判の店である。
阿部一族は、最上氏に仕えた武家だった。最上氏が1622年改易になったとき、浪人となり、鶴岡に移ってきた。
「浪人時代から、古書を商っていたようなんですよ」
と阿部さん。どういう形で古書を商っていたのかは不明だが、印刷技術が発達するまで、本は大変な貴重品だった。それを阿部一族は祖先から預かり、伝えてきたのだ。
江戸期が終わったときに、阿部氏は「阿部商店」と名乗り、蒲団綿を商い繁盛したようだ。当時の山王の繁盛を伝える写真に阿部商店のものも残る。
「綿をやめて古書店専業にしたのは祖父の代です。もっとも古書の扱いはずっと続けていましたし、古い倉庫から、大正時代の薬のパンフレットがいっぱい出てくるんですよ。どうも、綿と古書のほかに薬も売っていたようです」

受け継がれる思い

この頃、鶴岡に鉄道駅ができ、水運から陸運への変化が訪れる。もしかすると、新しい商売の可能性を探っていたのかもしれない。こうした紙葉もまた、先祖の考えや行動を語ってくれる。
「父は新刊を扱い始めた人でしたが早く亡くなりましたので・・・。祖父の生き方の影響が今の私には大きいかもしれませんね。仕事については、どちらからも、とくに何も言われなかったですが」
等氏の祖父・阿部整一氏は、多くの著作を残した郷土史家だ。
「祖父は、『荒町三奇人』の一人に数えられた数寄者でした。家業を書店専業にしたのは、出版がしたかったという理由もあるかも知れませんね」
そんな祖父から学んだことは、好きなことをしなくてはいけない、ということかも、と等氏はほほえむ。
現在、阿部久書店の一階が新刊、二階が古書のはずだったが、古書が一階へじわじわと浸透している。市内随一にして唯一の古書店のため、すべての古書がここに集まる。毎月目録は発行しているが、作業が追いつかない。もっとも、店内の書籍はおおむね等氏の頭に入っており、要望を出せば探し出してくれる。どの本にも価格がついていないが、ストックのない稀講本でない限り高価ではない。また、インターネットでの買い取り・注文も受け付けている。

古書はふるさとのタイムカプセル

古書はふるさとのタイムカプセル
古書はふるさとのタイムカプセル

等氏が、古書店の仕事にやりがいと面白さを感じるようになったのは、十年ほど前のとある出来事がきっかけだった。
「汚いみかん箱に紙くずみたいなものが入っているんだけど、取り来てくれないか」という電話がきた。行ってみるとそこは工場の跡地で、等氏はどうせくずだろうと思いながらも引き取った。
「開けて驚きました」
なんと、日立が戦前から陸軍・海軍と共同開発をしていた武器についての極秘資料だった。日立は戦時中、飛行機の発動機を作っており、当時の代表は戦争協力者として、戦後公職を追放されている。鶴岡で工場を借りていた人は、ずいぶん前に亡くなっているが、日立市から疎開してきていたのだという。
この文献は、鶴岡市の郷土資料館を介して日立市に連絡が行き、日立の郷土博物館の人がすぐ飛んできたそうだ。
以来、古書店の仕事に対して、びっくり箱をあけるような、宝探しのような、ときめきを感じるようになった。
「古書は住んでいる人の知恵の結晶であり、学びの記録、さまざまな記憶そのものです、あだや疎かには扱えません。次の人に手渡す文化ですから」
だから、手に入る限りを引き取り、出来るかぎり店頭に並べる。そうすることで、知恵の結晶が次の世代に引き継がれていくのだ。

阿部久書店と鶴岡の夢

この商店街が寂れていくのをなんとかしなくてはいけない、という使命感で始まった『まちづくりNPO』。今では、商店街から鶴岡市全体、さらに山形県全域へと広がって、全国の同じ悩みを持つ町同士がつながるきっかけとなった。
「都市計画が専門の早稲田大学の佐藤滋教授に何かとご協力いただいております。教授は、城下町の町筋を研究されていて、定点観測的に鶴岡にいらっしゃっているんです。鶴岡は古い町筋が残っていますからね。それで古い住宅の活用にご協力いただけるようになって。鶴岡にいらっしゃるときは、いろいろな人を連れてきてくれるんですよ。まったく、何が縁になるかわからないですね」
人とつながり、知恵を出し合うことで豊かに夢は膨らむ。祖父から学び受け継いだ『好きなことをする生き方』とは、夢を叶える不断の努力をする力かもしれない。
「書店を大きくしようとか儲けたいとかないです。ただ、自分が受け取った大事なものを次に残していければ、と思うだけです」
柔らかな物腰の等氏に、先祖の武士を思わせる『一分』が滲んだ。

江戸時代の技術を今に伝える~富樫蝋燭店

江戸時代の技術を今に伝える~富樫蝋燭店1
江戸時代の技術を今に伝える~富樫蝋燭店1
江戸時代の技術を今に伝える~富樫蝋燭店2
江戸時代の技術を今に伝える~富樫蝋燭店2
江戸時代の技術を今に伝える~富樫蝋燭店 3
江戸時代の技術を今に伝える~富樫蝋燭店3
江戸時代の技術を今に伝える~富樫蝋燭店4
江戸時代の技術を今に伝える~富樫蝋燭店4

江戸の町筋を残す山王商店街には、鶴岡で崇敬を集めている羽黒神社に奉納する大ロウソクを作り、ギネスブックに載る名人・富樫雄治氏の店がある。
庄内地方では、農家の内職としてロウソク作りが行われていたが、江戸時代に絵ロウソクが献上品となると、名産品として盛んに作られるようになった。現在も葬儀や仏壇に御所車などを描いた絵蝋燭を点す習慣が残る。
ロウソクには、和ロウソクと洋ロウソクがあり、和ロウソクは本来植物性の材料を使い、芯には和紙にイグサの随を巻いたものを使う。洋ロウソクは、獣脂や蜜ロウなど動物材料で作られた歴史があるが、現在は和洋ともにパラフィンがほとんど。和ロウソクは、火を大きくするために灯心が太い。また火の保ちがよく、長時間燃え続け、油煙が少ないのも特徴だ。
富樫蝋燭店は、昭和10年に雄治氏の父・常三郎氏によって開かれた。蝋燭づくりの技術は、常三郎氏が代々の蝋燭店を営む叔父から受け継いだものだという。
雄治氏は平成21年に惜しまれながら亡くなったが、店は妻の光さんとスタッフの手で守られている。店にはさまざまなサイズの儀式用の絵ロウソク(プリント)、お香、楽しむためのバラエティ豊かなキャンドル類とスタンドなどのグッズ、そして手描きの絵ロウソクが並んでいる。
絵ロウソク体験で賑わう富樫蝋燭店を、地元の山形大学農学部・東北公益大学の学生と鶴岡市立羽黒第三小学校六年の生徒たちが訪れた。

<阿部九書店>

住所: 山形県鶴岡市山王町8-21
電話: 0235-22-0220
創業: 1887年(明治20年)
URL: http://www.kobaecha.com/search/sannou/0024/

<富樫ろうそく店>

住所: 山形県鶴岡市山王町10-52
電話: 0235-22-1070
創業: 1935年(昭和10年)
URL: http://www.kobaecha.com/search/sannou/0006/
あとがき

愛をつなぐ絵ロウソク

東北公益大学4年 松浦彩 愛をつなぐ絵ロウソク
愛をつなぐ絵ロウソク

富樫蝋燭店は昭和10年から続いているロウソク店。地元だというのに、店内に入ったのは、これが初めてだ。
お店で扱っているロウソクには、大きく分けて三種類があるそうだ。
和紙にイグサを巻いて作った燈芯に木蝋(はぜの実から作る)を重ねつけた和ロウソク、パラフィンの和ロウソク、糸芯にヌカ蝋(米ヌカから作る)を型抜きした洋ロウソクだ。和ロウソクは芯が太く明るいが芯切りが必要。糸芯ロウソクは暗いけれど独特の光が好まれる。
スタッフ数名と奥さんの光さんが絵筆を握り、亡き夫の残した図柄を小型のロウソクに描いている。亡くなった旦那さんは絵が得意で生前は大きな絵ロウソクの絵付けもしていたそうだ。7~80センチはあろうかという大きく真っ赤なロウソクに描かれた、力強く繊細な龍・・これが一番好きだと、光さんは言った。
実は、光さんは旦那さんの生前は絵筆を持ったことがなかった。
「あの人は本当に名人だったんですよ。私は夫のようにロウソクは作れませんが、夫が残した店ですからできる限り守っていきたい。娘とつれあいは今は別の仕事をしていますが、将来は店を継ぐといっています。ですから、それまでは私が守ります」
誇りと懐かしさと愛情に満ちた表情で光さんはぐんと胸を張った。
お話を聞いて、絵ロウソクには、たくさんの思いが詰まっていると感じた。光さんの思い、亡くなった旦那さんの思い、そして絵ロウソクを手にした人の思い。私も大切な人を送るときに絵ロウソクを点したいと思う。ロウソクの温かい炎はたくさんの思いとともに燃えているのだ。

<富樫ろうそく店>

住所: 山形県鶴岡市山王町10-52
電話: 0235-22-1070
創業: 1935年(昭和10年)
URL: http://www.kobaecha.com/search/sannou/0006/
あとがき

歴史に残る絵ろうそく

富樫 希望(ノゾミ) 歴史に残る絵ろうそく
歴史に残る絵ろうそく

11 月12日、富樫蝋燭店にインタビューに行きました。このろうそく店は、繊細な筆使いやきれいな絵ろうそくばかりで、びっくりしました。
いざ、ろうそく店の人にインタビュー。昭和10年からやっていることや、ろうそくの作り方についていろいろわかりました。話を聞いている中で、特にびっくりしたのが、絵を間違えてもぬるま湯で流せるということです。まちがえてしまったらそのまま捨てるのかなと思ってました。水で溶けるポスターカラーで描いているので、大丈夫なのだそうです。絵を描いたあとは、逆に上からろうをかけて絵が溶けないようにするのだそうです。
貴重なお話や、ろうそくについていろんなことが聞けて良かったです。機会があったらろうそくを作ってみたいし、もっとろうそくのことについて調べてみたいと思いました。

ろうそく店でインタビューしてみて

斎藤 友規

ぼくは、今までろうそくについて何も分かりませんでした。でもインタビューをした時にたくさんいろんなことが分かりました。その時ぼくが聞いておどろいたことは創業昭和10年から、今までずっと続けているということです。長い伝統があるんだなあ、と思いました。
次にびっくりしたことは、ろうそくを作ってから完成するまでの期間です。ろうそくを一本ずつではなく、一気に二十本くらいまとめて絵を描いて、完成するまで一週間はかかるということです。ほかにもたくさん聞いて、今まで知らなかったことを知ることができました。ろうそくの知識が増えてよかったです こんどはぼくもろうそく作りをやってみたいなと思いました。

絵ろうそくと炎の大きさ

齋藤 きらり

私は『ろうそく』について、考えたことがありません。このインタビューを通して、知ることができておもしろかったです。
絵ろうそくには、きれいな絵や、はく力のあるかっこいい絵がかいてあって、その絵だけでも楽しめました。すごく大きな絵ろうそくは、ポスターカラーと百本もの筆を使い分けてかいたそうです。とても難しいことと思いました。そして一番難しそうと思ったのは、たくさんのろうそくに同じ絵を同じように描くことです。
炎の大きさは、ろうそくの中心にあるしんの太さで変わるそうです。昔の電気のなかった時代は、ろうそくの火で生活していたので、そのしんを太くしてできるだけ明るくしていたそうです。昔の人はよく発見したなと思いました。

富樫ろうそく店へ行って

鈴木 兵悟

11月12日ぼくたちは富樫ろうそく店へインタビューに行きました。そこにはいろいろな絵が描いてあったり、とても大きいろうそくもありました。
そこでろうそくは何でできているのかを聞きました。
ろうそくははぜの実、パラフィン、もくろうというものてできていることがわかりました。それに絵を描くときはポスターカラーで描きます。それは筆で描いていて、大きいものからとても細いものまでありました。そんなー細い筆でよく描けるなあと思いました。色はろうそく一本につき15色くらい使って描いていめけれど、色を混ぜて浸かっていないそうです。描いたらそこで完成ではなく、色がはがれ落ちないようにします。絵ろうそくを描いているときは、売れればいなあという思いで描いているそうです。これからもこの伝統を守ってほしいです。

<富樫ろうそく店>

住所: 山形県鶴岡市山王町10-52
電話: 0235-22-1070
創業: 1935年(昭和10年)
URL: http://www.kobaecha.com/search/sannou/0006/

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